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【明石市編②明石市立文化博物館】東播磨ファンタジースタンプラリー
- 03_自由研究,05_見学・おでかけ,社会
兵庫県の理科実験教室、キッズアース播磨町校です。
明石に寄った際には是非、とまでは言いませんが、駅からもそう遠くないので、気になる展覧会があれば、来て損のない博物館です。
さて、東播磨地域(高砂市・加古川市・稲美町・播磨町・明石市)で行われている「東播磨ファンタジースタンプラリー」についてお話しました(こちら)が、今回は「明石市編」です。
「明石市」の4つのポイントは
です。
どれも「明石らしい」スポットだと思います。
明石公園を抜けて、明石市立文化博物館へと向かいます。
【明石原人の謎】
「明石原人」をご存知でしょうか。
1931年、直良信夫氏が、明石の海岸で古い人骨(腰の部分)を発見し、日本の旧石器時代の存在を主張しました。
しかし、当時、そんなに古い時代には、日本に人類は存在していなかったとされていたこともあって、研究は進められず、さらに残念なことに、現物が第二次世界大戦の空襲で失われてしまいました。
東京大学に残されたレプリカをもとに、戦後も研究が進められましたが、原人ではないとの説が有力になっています。
(参考:東京大学総合博物館における明石原人の解説⇒こちら)
この幻の人骨を求めて、1985年、1997年に発掘調査が行われましたが、人骨は発見されませんでした。
しかし、人工のものと思われれる木器が発見されたことで、6万年ほど前に明石にヒトがいた可能性があると考えられています。
(参考:明石市立文化博物館常設展示解説⇒こちら)
ここで少し、「原人」について見ておきましょう。
「原人」は、アフリカを出て、この時代にアジアのあたりまで進出していました。
一方で、現生人類(ホモサピエンス)は、原人や旧人(ネアンデルタール人)の直接の子孫ではなく、
アフリカの旧人から進化した「新種」であり、それが世界に拡散していったと考えられています。
(DNAの解析によれば、一部には旧人との混血もあったと考えられるようですが)
この我々の直接の祖先が、3万8千年ほど前に、海を渡って日本にやってきたことは、
この時代にさかのぼれる遺跡が多数発見されていることから間違いなさそうです。
(下記海部先生の著書による)
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私たちの直接の祖先ではないとしても、アジアに進出していた「原人」が、日本にまで到達していた可能性がある、というのは、ロマンがありますね。
【明石市立文化博物館】
さて、明石市立文化博物館の常設コーナーでは、駆け足で明石の歴史を見ることが出来ます。
最初に目を惹くのが、アカシゾウの骨やシカマシフゾウの復元。
もしかしたら、「明石原人」は、これらの動物を追って、明石の地にまでやってきたのでしょうか。
いつか新たな発見があると良いなと思います。
旧石器時代・縄文・弥生時代の遺跡・遺物の紹介から、古墳時代の説明まで一気に駆け抜けると、いよいよ「明石」が歴史の表舞台に登場します。
大化の改新の詔(みことのり)において、「明石」が「畿内」の西端と定められたのです。
瀬戸内海上交通の要衝であることもあり、明石は発展し、『源氏物語』にも第13帖「明石」として描かれるようになります。
そして、焼物や農業、漁業の紹介があって、いよいよ城下町としての明石、現代の明石の展示へ。
さほど広くない展示室ですが、随所に工夫がされていて、情報量がとても多く、またそれをまとめたリーフレットも用意されています。
企画展も結構面白いものが多く、木喰仏の展覧会があったかと思えば、ゴジラ、リカちゃん、シルバニアファミリー、あんびるやすこさんの原画展等々、子連れでも楽しめる企画も多く行われています。
明石市立文化博物館から南に下り、JRと山陽電鉄の高架を抜け、さらに海の方に向かうと、次の目的地「魚の棚商店街」です!
- 海部陽介,人類史,日本の歴史,明石,明石市立文化博物館,明石市,明石原人,化石人類,アカシゾウ,直良信夫
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